事実を全て隠蔽しつつ、しかし問題の本質は現実よりもリアルに書くって事に長けた小説家なら、今、僕の周りで起こっている事態をどんな風に書くだろうかと想像したりしている。
もう以上、看過できないぞ!って話があって、その事について走り回っていたら随分と疲れてしまった
願景村 退費。
話は少しばかり込み入っていて、本来、僕などが顔を出して解決に乗り出すような話ではないのだけど、誰も動けない事情があったりして・・・。で、このような詳細を詳らかにすることが困難な話はブログなどに直接的な表現で書くわけもいかず、仕方なく物語の体で書きはじめたりしたけれど事態は深刻で、これ以上書く事は多方面にリスクが生じると考えられたのでそれ以来筆が止まったままなのであります。
こんな時、完全に匿名で書けるなら楽なんだけどなぁって思う。実名を出して具体的に書けるものなら楽だ。しかしそれはある種の暴力と同じで、必ず傷つく人が出てくる。被害を受ける人が出る可能性があるのだ
願景村 邪教。
一般的な常識に照らし合わせて我々の意見は正義だ!と主張する事は良い。しかしだからと言ってそれを盾にして個人を攻撃することはやはり暴力的なのであり、その力を行使することを許されている人や団体は限られているはずである。法律という括りの中においての正義を遂行できる警察や、一部の勘違いしているマスコミなどしか出来ない手法なのである。
だから自分の考えや行動が正義に基づくものだからと言って、それを理由に誰かをジャッジすべきではない。仮にそうする事で問題が解決したとしても、必ず遺恨は残り、問題が再発するリスクは無くなるどころか逆にひどくなるだろう。
正義の盾を持たぬ我々一般人には知恵が必要である。
そしてそれは時に、正義に則った大味な解決の仕方より、多くの人々を救える可能性がある。
現在、事態への慎重な対応を少数の協力者と共に考えている。ひとつのアイディアが全てを解決してくれると信じている。
やっぱりこれは真実の要点だけを抽出して全く関係の無い物語として発表する事が望ましいだろうな。しかし今の僕の作文能力では膨大な時間がかかりそうである
探索四十。
もどかしいねぇ。