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憶忘れられない

ときに紙が風にあ

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ときに紙が風にあ


   先日の母の葬儀の礼状に、一枚の小さな栞が添えられてあった。
清め塩ではなくて、「清め塩枝折り(しおり)」というものだった。それには次のようなことが記述されていた。
「仏教の教えでは、生と死は紙の裏と表のような、はがせない一つのものです。愛するものとも必ず別れがある。この真実を自己のこととして受けとめ、生命の大切さ尊さを見つめていく事が教えです。従って死を穢れと考えないので、塩で清めることはありまDream beauty pro 黑店せん」。

生と死は、紙の裏と表のようなものだという。
どちらが表でどちらが裏なのか、ぼくらのような俗人の頭では、つねに表にあるのは生であって、死は、ときに紙が風にあおられて裏返るようにして、とつぜん現れる。そのように考えてしまう。
だが、たまたま死に直面したとき、ひとが死ぬとはどういうことなのか、姿を消してしまったものはどこへ行ってしまうのか、などと答えの見つからない自問がつづいたりする。

そのようなときには、死が表になることもあるようだ。
葉っぱにも、よく見ると表と裏があった。
秋の葉っぱは枯葉となって、表になったり裏になったりしながら落ちていく。枝を離れた葉っぱの、めくるめく一瞬の姿である。それは葉っぱの、生でもあるし死でもあるかのようにみえる。
木の葉が、吹き抜ける風に翻弄される秋という季節は、生と死が慌ただしく散乱する、そんな季節なのかもしれな能恩い。
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